今が大事
突然の昔話にはなりますが、
イギリスに留学したばかりの頃、友達がおらず自分の選択や方法を後押ししてくれる人が一人もいませんでした。
それでも劣等感は日々つのるばかり。何をしてもうまくいく気がしない。周りは細くて綺麗でテクニックがある子達ばかりで、それに加えて自分は英語も喋れず、なぜか初っ端から有る事無い事言われて日本人の子達の仲間にもなかなか入れてもらえませんでした。バレエもコンテもコレオグラフィーの時間も何にもできませんでした。自分が周りに比べて学んできた量が少ない自覚はありましたが、それによってこんなにも孤独感を感じるとは知りませんでした。正直、何から手をつけたらいいのかわからず、でもここまできてしまった以上、自分の中の理想像に近づかなければもう自分はダメだという不安ばかり。だから仕方ない。とりあえず練習するしかありませんでした。正しい踊り方や練習の仕方はわからなかったけど、選択肢がそれ以外ありませんでした。学校が終わって、みんながご飯を食べて休んでいる頃、私は学校に戻って、その日やったステップを最初から思い出してはがむしゃらにやり続けました。
毎日、これでいいのかが不安で、誰かに「それでいいんだよ」と言って欲しくて、でもそれどころか全然周りに追いついている気がせず、そんな自分の頑張りを知る人さえ当時は一人もいませんでした。
時が助けてくれて、友達はできたけど、結局卒業式の日まで、自分が日の目を浴びることははほぼないままでした。
毎日、先のことを考えれば不安でいっぱいでした。どうすればいいのかわからないことだらけで、他にも色々と心をズタズタにされたことはあったけど、それでも私は最後まで逃げずにやり通せたのは「今」という時に対する重みを理解できていたからだと思います。
結果はなんでも後から付いてくるものです。
よく聞く言葉かもしれませんが私も本当にそう思います。
誰にも未来はわからないのに、先に何かを決めてしまうことでそこに繋がるべき道を「正解」「不正解」で探ってしまう。だからいつも今いる道、これからある選択、挑戦に対して失敗を恐れるようになるのだと思います。
目標や理想像を持つことは大事です。それが今日を生きる糧になることがあるからです。でも、それにはまず、今日ある自分と向き合うことが大事なんじゃないかと思います。
全く関係ないことに見えても、自分が思うよりずっと先で、自分と向き合ってきた時間同士が交わって新しい視点や方法が生まれる。そうやって、自分が本来目指していたものの予想を超える何かに出会えるんです。
私のバレエ人生は常にそうやって、私に素敵なものをたくさん与えてくれたから、きっとこれは本当です。
時には自分が情けなくて、どうしようもなくて、不甲斐なくて、周りばかりがすごく見えます。人と比べることはよくないとわかっていても、比べてしまうこともそりゃあります。
でも、とりあえず、できないことに挑戦し続けなくてもいいから、自分にできる何かをコツコツやってみる、気になったことに触れてみる。たとえその時は、それがどんなに周りより遅れて見えたとしても、小さいことに見えたとしても、その結果が生み出すものは誰とも比べることができない特別なものになるはずです。
今はピンと来なくても、必ず、自分のことをもっと許して、気楽に明日を迎えられる日がくると思います。
長くなってしまったけど、昔の私が求めていた「それでいいんだよ」の言葉の代わりに、誰かの気持ちに寄り添えたらいいなと。
matane!
思想タイム(^ν^)
皆さんお久しぶりですのえです🥲気づいたら12月だった。
今日本に帰ってきております🇯🇵
今年はコロナのことでかき回されたなーとやっぱり振り返って思わざるを得ないのだけど、その分いままで考えてこなかったことや知らないこともたくさん知ったなーと思っております。
今までは知らなかった生き方や、聴いてこなかった音楽、話したことのない人、どれもこれも、面白いものばかり。
散々人に、努力を続けるためにはこうする!あーする!とか言ってきたし、実際言ってきたことが間違えてるとも思わないのだけど、そのために勘違いしやすいこととかもあるなーと最近よく感じるので私の記憶代わりにここに残そうかなーと思います。
まず最初に、私のことをはなすのだけど、私は色々ご縁あってバレリーナを今はしてるけど、お給料はバイト代くらいしか貰えないし(基本多くの国でも踊るだけで食べていけるのは一握りです。) 親にも沢山お世話になってやっと好きなことを続けてます。
自分が続けてきたことを恥じたり、そんなことはない。
でもやっぱり、私はこんなんでいいのかって思うことは沢山ある。特にバレエ界以外の人と話したりする時。
私は学生の時から今もずっと同じようにバレエのある生活を続けて、ただひたすらバレエばかりしてきて、それはイギリスにいたって、アメリカにいたって何も変わらないのに対して、周りのみんなは地に足がついているというか、すごく「社会人」って感じで、私はこんな好きなことわがまま放題みたいにし続けてるだけでいいのかって、自分が全く自立していない、すごく情けない生き方をしてるのではないかと感じてしまうことも少なくないです。
世間的に見たら本当にどうしようもなくダサい人間なのかもしれない。
でも実際、自分のために生きようと思ったら、かけていいだけ迷惑かけて、幸せだと思えることややりたいことをとりあえずやるんでいいのだと思います。
生きてたら、辛いこともあるけど、幸せだと思うことや、思えるもの、興味のあることを進んでやっていける環境は割と作り出せるもので、それに対してダメだと口出ししたり、咎めたり、馬鹿にしたりする権限は他人には1ミリもない。
やりたいことをやっていく決断をできたとしたら、それ以上の幸せはないし、それを他人にあーだこーだ言われたとしても、自分の幸せは他人に壊せるものであってはいけないし。
だから他人の生き方を馬鹿にしたりしちゃいけない。
たまに、「自分は正しい生き方してきました!そうじゃない人はもっとしっかりして!」みたいなこと言う大人がいるけど、最低ですね。
そんなこと誰が決めるの!
そんなこと言う人がいつまで経ってもいるから、自分の中の選択肢を無意識に殺す人が出てくるのだと思うの。
こうでないと認められなくなるかもしれないとか、恥ずかしいとか。
今の状況や未来のことに不安を抱いたり、どうしようか決められない時間があったっていいと思う。
あなたは将来どうするの?これしなくていいの?あれしなくていいの?ってそんなの誰も神様じゃないのだしわからない。
でも、今が幸せで、目の前のことを一生懸命、精一杯やってたらちゃんとそれなりのものが付いてくるし、手を差し伸べてくれる人も、新しい発見も沢山巡ってくるんだと思う。
目の前のことをきちんと見つめて、好きなことをして、それだけしてたら、そこに優劣あるわけじゃないのだと感じてる。
学校で勉強しろと言われるのは、やっぱりそうやって、目の前に与えられたことが得意であろうが苦手だあろうが、今できることをやるというシンプルなことをできるようにして、その後の人生、どんな選択をしようと胸張って生きていけるようになのかもしれない。(勉強するべき理由は本当はもっと沢山あるけど)
本当は勉強の得手不得手で、一筋縄で社会的優劣はつけられないものだろうけど、目の前にあるものへの適応能力を測るのに成績とか学歴とか、そういうのを指標にとるのが手っ取り早いんだろうな。(環境的ものとか色々そこにもあるはず)
て、
少し話ずれたけど、
なにが大事って、自分の心が自由であることなんだと思う。
自分にも他人にも、生き方を強要したり、責めたりすることはあっちゃいけない。
そんなことする時間あるなら、もっと身の回りに転がってる多くのものに興味を持ったりする方がよっぽど素敵だと思う。
て話でした
(^ν^)
MATANE
続けんのむずい:(
うわー、去年の9月からブログ始めてるのにこれがやっと3つ目の記事だ(笑) どうもー!
ブログ書かないうちに色々あった!みんな生きてますか!
私は日本帰りたい!
まあでも、バレエするためにアメリカにいるし、仕方ないね〜。
海外の舞台で踊れるのも、多分人生のほんの一瞬。
アメリカに至ってはもう1年いられるかわからん!
1日1日大切にしないと〜
って頭ではわかってるけど、やっぱり続けるのって難しいねー。
よく、「ひとつのことずっと続けられるなんてすごいよ」って言ってくれる人がいて、大変有難い言葉だって思うんだけど、まあ正直やってられなーい!ってことはよくありますね。
バレエを続けられる理由の大部分はもちろん、バレエが好きだからっていうのがあるけど、全然自分の中でハマらない時期ってある。
例えば、先週から新しいコンテンポラリー作品のリハーサルが始まったんだけど、私はコンテが苦手だし、クラシックほどは好きじゃない自覚があるので正直全然気が乗らないし、納得できないことだらけで、めっちゃ時計見てる(笑)(ちなみに、残り45分くらいが1番キツイ)
でも今までだって、そういう作品にはたくさん出会ってきたから、なんとかなっている。
難しいのは、嫌でも踊らなければならないことではなくて、嫌なものにどうやってアプローチしていって、その中で好きだという感情を生み出していくか、なんです。
他のことはわからないけど、踊りは人にお見せするものだから、嫌々踊ってたらやっぱりそれが踊りに出てしまう。だから踊ることになったものはどうにかして、どこかしらに「好き」と思える瞬間をつくらないと舞台に上げられないなと個人的に思ってて、それが結構むずい。
それはコンテンポラリーに限らず、クラシック踊っててもあること。思い通りに踊れないとか、自分にがっかりしたりしたら、やっぱり、バレエ始めなきゃ良かったって思ったり、バレエなんか好きじゃないって思ったり。
納得できないものにぶつかった時にそれでもkeep going!! っていうのが大変よね。
でももう、そういう時は一旦違う観点で、好きだと言えるようにしてる、半ば無理やり。(笑)
もう、作品が好きじゃないなら、そんな作品にでさえ気持ちを抑えて、頑張ってる自分が好き!とか、
とりあえず一箇所だけむっちゃ練習して良くなったって言ってもらっちゃお🤘褒められたい!褒められたい!みたいな(笑)
気持ちが乗らない仕事した後のビールがなんかウマイな、とかでいい気がするけど、とりあえずそんな感じにすると、「しゃーない、なんか頑張ってやるか〜」って気になるし、それ続けてたら、前よりもその作品がストレスフルなものというより、楽しいものになってたりするんよね。まあ、そんなことみんなとっくにわかってるかもしれないけど(笑)
私は好きじゃないことを頑張るのが本当に苦手なので、それに対するアプローチの仕方が見つからないうちは、次の日が来るのが嫌になって眠れなくなるくらいよ(笑)
まあとりあえず、なにが言いたいかって、「好きだ」って思うことから生まれる活力ってすごいんだってことなんよ。
うわ、こんだけ話してめっちゃ当たり前なことゆーとるがな!!!!!!!
でも実際、小学生の時に行っていたバレエスタジオでいじめられてた時は、そんなことには目もくれずバレエしてる自分かっこいいんじゃーん?って思って続けてたし、私がバレエずっと続けられたのはなんだかんだ、いろんな所で自分が踊ることを好きだと思える瞬間があったからやと思うんよ。
まああとは、これ続けてたらいつかは好きって気持ちが戻ってくるに違いない!的な確信があったからかね。まあそれはまた別の話になるけども。
とーーーりあえず、私はまた来週も苦手なリハーサルが続きまーす(^ν^)
でもアンテナ沢山持ってたいし、色々工夫して生きていきたいね!!!!
なんか今外でこれ書いてるんだけど背中めっちゃ焼けてる気がする!!あちぃ!!
もう夏だ!!日本帰りてえ!!!
んじゃ
MATANE~!:)
口に入れたものは…(頑張り屋な人へ)
ブログ忘れてた。(笑)
今回は頑張り屋なあなたに向けて!
みんなはどう思うかなー
私は昔からど根性タイプです。(笑)
というより不器用なのでコツコツ人の何倍もやらないとダメなタイプ。
自分もだから言えることだけど、
そういう人ほど思い詰めやすいです。
「あの人またネガティブモードだよ」
「病みすぎワロタ」
大いに結構。
私はそういう風に言えるほど余裕のある人ではないし、そういう方々には分からなくて当たり前です。
まあ、人間大なり小なり悩むはずだしそれの発散の仕方もそれぞれ。
(私は文章にしたり、言葉にしたら少し心に整理つく方です。)
ただ、それでもぬぐいきれない思いだとか、焦りだとか、不安だとか。あるかもしれない。
そしたらどうすればいいんだろう?
気負わずに、無理せず、それでも頑張りたい、頑張らなきゃいけない、そういう時はどう生きれば?
頑張ったって余計に焦ってしまう時は?
ずばり、
逃げることです。
但し、
「逃げる」と一言で言っても一概に、
「何もしないこと」とは限らないかもしれない。
これは、結局逃げんなよ!って意味じゃなくて、
逃げ方はそれぞれということです。
何もしなくたっていいです。
時間は黙ってたって進むし、変わらないことなんてありません。
少し頑張ってたことをやめたら、ある時ふと、やってみよって気になって、やってみたらヒョイっとうまくいくなんてことはよくあると思います。
でも
一度手を止めたら更に焦る人も不安になる人もいることと思います。
奇遇ですね、私もそのタイプです。(笑)
頭でっかちですね。
焦りや不安の原因は
結局、自分の気持ちの持ちようだということは忘れちゃいけないなと思います。
何歳までに、いつまでに、ここまでは、このレベルまで。。
そう思うことは自然なことだと思うんです。
大切だと思います。
特に私の場合、ダンサーとして踊れる時間はとても短いです。体資本なので。
ただ、言っちゃえば、
無理な時は無理です。
本当にこれはしょうがないです。
諦めてください。
無理を無理じゃなくするには努力が必要だけど、ある時間全てをかけて頑張るってことが努力だと思いません。
人間だから、全力でやってたって、
頑張れない時も、苦しい時に歩みが遅くなることも、だらけちゃうことも、それを全部ひっくるめて、後になって振り返ったら頑張ってたのかな、くらいで充分努力したと言えるのだろうと思います。
仕方ないです。人にはキャパがあります。それは人それぞれだし、自分を責める必要はないです。
無理なもんは、誰がなんと言おうと、その時のあなたでは無理なんです。
周りがいくらあなたが頑張れなかった時に努力し続けて成功をおさめたとしても、「あの時周りと同じように頑張れていれば…」なんてこと思う必要ないです。
頑張れなかったんです。仕方ないです。それがあなたです。それが私です。
所詮、自分のペースでしか頑張れないもんなんです。
放棄して楽になれないなら
自分のペースで噛み砕くしかありません。
一度口に入れたものです。
吐き出さないなら噛み砕いて飲み込むしかないです。それが楽になる方法。
きっと、そういう人は飲み込み切れるまで、不安も焦りも全部消えることはないです。でも減らせるなと思います。
無理でもいいんだと思うことです。
無理だったら仕方ないと思うことです。
その時どうにかなります。
必ず。
ただ、どうしても、「できなかった」で終わらせたくないなら
泣きながら頑張るしかないです。死ぬ気でやるしかないです。
頑張れる時に頑張って生きましょう。
それではー、次いつになるかわかりませんがとりあえずまた次回〜。
落ち込むとわかること
経験は上下の幅広く経験してた方が個人的にはいいことだと思う。
下を知っている人は上に行ったときに物事の本質を見失わない。
本当にいい上司は優しいって感じなのかな?会社だと。会社入ったことないからわからないけど(笑)
でもまあ、だから私は今、数年前にことごとく公演のキャストに入れてもらえなかったことも悪いことではなかったと言えるよ。
最初から美味しいところを取って行く人って仕事の場とかで必ず1人はいると思うのよね。どうしても全員一緒の速度で成し遂げて行くっていうのは難しい話だし。
そういうの見て、すごい不甲斐なかったり悔しかったりイラついたり、色んなネガティブな感情生まれると思うんだけど、そういう感情と付き合えた人は必ず初心に戻って、なぜ自分が今ここにいるかを発見できるんじゃないかと思うんだよね。
だって、人って下に行けば行くほど贅沢言わなくなる。
本当に大事なことだけ守りたいと思うようになる。物事の本質に気付く。
ただ、それに気付くまではかなり辛いなと思うたしかに。
やったってうまくいかない、なんのために頑張ろうとしてるんだかわからないっていうのはかなりモチベーションが下がる状況じゃない?
そういう時は、違う何かが見えるまでとりあえずどんなに小さなことでもひとつのことをやり続けてみるのが良いのではないかと思ってます。
というのは、やった結果ダメだった、でもとりあえず良くて、やり続けた結果なにか一つわかることがあればいいわけです。
このやり方じゃダメだったけど、やってる中でここくらいまでいい感じだと思えたから次からはこうしてみよう、とか。
全然ダメだったから逆にこうするのはどうだろう、とか。
そしたら自分の中で試してみたいと思えることが増えてくる気がするんだよね。
それがあるひとつのモチベーションになったらこっちのものでしょ!と思っている。
とりあえず何が大切かって、自分が正しいと思っているものを信じて続けることですな。
時にはその方法が周りとは全く違ったりアドバイスと違ったりするかもしれないけど、自分が納得する方法で続けていくのが一番です。
私はアドバイスされてもそれに納得できなかったら絶対やらない!(笑)
自分の中で理想と結びつかないようなプロセスをとりあえずやるのは時間の無駄だから、だったら自分の中で論理的だと思う方法を選んだほうがいい。そしたら失敗してもなんで失敗したのかすぐわかるもん。
もちろん、こうしたらこうなるからこうやるとうまくいくんだぞって教えてくれる親切さんもいるかもしれないけど、なかなかそこまでする大人っていないし、私はそこまで世話焼きさんはあまり好まない(笑)
話はそれたけど、
そうやって自分の今を考察し続けた人は人間的に賢くて、優しい人になるのではないかと私は思っているー。
うまくいく自分しか好きになれないなんてこともない。逆にうまくいかない相手を圧迫したりもしない。
だから、失敗や嫌われることは恐れないでいた方がいいのかもしれないですね。
うまくいかなくても這い上がる方法は必ずあると思います。
深呼吸して、周りを見てみたら選択肢は沢山あることに気付くことがある。
きっと大丈夫です。
気長にいましょ。
物事は必ず、変わっていきます。
そんな感じで初記事終わろうかな。
なんて書けばいいかわからなくて支離滅裂?
誰だよこいつ上から目線だな、とか思われたりするかな?(笑)
でも、一部の人に自分のことをシェアすることで力になれることがあるなら、私はハッピーです。(暇だし。)←あれ
んではまた〜